どうして、古代ファラオの中で、ツタンカーメンが一番有名なのでしょうか?
古代エジプトの中で、実績かつ在位期間が長く王家で幅を利かせてた人物と言えば、「ラムセス2世」「ネフェルティティ皇太后」「クレオパトラ」などの名前が挙げられます。
ですが、これらの人物の名は、多少歴史に興味をもった方が知っている名前。老若男女問わず誰もが知っているファラオの名前と言えば、やはり「ツタンカーメン」だと思います。
今回は、エジプトの歴史とピラミッドについての解説を少し交えながら、その謎についてお話をさせていただきます。
古代エジプトのファラオ群のお墓事情
盗掘と略奪の歴史、エジプト。
ファラオの眠るピラミッドに副葬品(金銀財宝)が納められると、たちまち墓泥棒に盗まれてしまった。
古代でも盗みは犯罪、しかも墓泥棒は死罪だったという。
それでも、人は盗むのをやめられない。ファラオのお墓を作る専門の職人もいたが、それと同時に、墓泥棒を家業としていた一家も存在していたとか。
ツタンカーメンとは・・・
さて、話はツタンカーメンに戻ります。彼は、即位9歳、死去19歳とうら若き少年王でした。
在籍時、前王のアトン神信仰を受け継いでいましたが、アメン神信仰を復活させるなど大きな宗教改革を行う事となりましたが、10歳前後の少年王が実権を握り、大きな舵取りを行っていたかはわかりません。恐らく、周りの臣下が中心となって政治が動いていたのではないかと推測できます。
しかも、この頃はかの有名なネフェルティティ皇太后や次期ファラオのアイ
この頃は神官)が幅をきかせていたはず。
ツタンカーメンの才覚に関わらず、癖の強い彼らに太刀打ちすることは難しいと思われます。
ツタンカーメンのお墓がついに発見!
そんな中、奇跡に近いと言えるだろう。ツタンカーメンの墓はほぼ盗難を免れた状態で発見されました。この発掘調査によって、一気に古代エジプト王の生活が明らかになりました。
王の持ち物や装飾品はどのようなものだったか、国王の埋葬方法なども明らかになってきました。
ツタンカーメンのお墓発見は、いわば古代エジプト史の研究が一気に進んだ大きなキッカケとなったのです。
何故、ツタンカーメンは有名なのか?
→答え「お墓の盗難が免れ、副葬品がたくさん発見されたから。」